東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町。災害公営住宅では住民同士が支え合うスタイルの生活が続く。震災から10年。復興としての生活支援から、日常の地域生活を取り戻す試みでもある。志津川地区の高台に建設された2~4階の低層の集合住宅。建設した都市再生機構(UR)や町が意識したコンセプトが「支え合い」。ベランダに洗濯物が干されているか、夜の明かりはついているか・・・
高齢者との共生、復興から日常へ 宮城・南三陸町

東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町。災害公営住宅では住民同士が支え合うスタイルの生活が続く。震災から10年。復興としての生活支援から、日常の地域生活を取り戻す試みでもある。志津川地区の高台に建設された2~4階の低層の集合住宅。建設した都市再生機構(UR)や町が意識したコンセプトが「支え合い」。ベランダに洗濯物が干されているか、夜の明かりはついているか・・・